ブログの自殺

ブログは自殺をしないらしい。少なくとも僕は見たことがない。しかし、このブログは自殺をする。困ったことに。見たことがあるか、それは、ない。当然だろう。「わてくしぃ、ぶろぐがぁ、じぶんでじぶんをころしたの、みたんですようう、あとぉ、ぱんつのいろをおしえてくださいいいい」なんて、警察に電話でもしようものなら、相手にされないどころか、相手にされないことだってありうるだろう。

しかしだ。あんな、饅頭の色をしたような、あんな連中の判断基準で以て、ブログが自殺をしないと断ずるのは、あまりに脳無しのすることである。いったいどこで思考をしたらそんなになってしまうのか。可哀想すぎて、まったくたまらない。まるで見たことのみが世界の真実であるかのような、そんな狭い科学観では、ブログの自殺は見つからまい。その解釈性を棄て、そして、その既製品を脱して初めて、このブログはあなたの地図に点として打ち込める。ダイアリーの方は、至極真っ当な方法で、至極真っ当な国際政治理論(IR理論)を破壊するのが目的であり、アメリカ的学問の流儀に見事に則ったものとなっているが、こちらはもはや、ほとんど意図を持たない。ブログに意図など、そもそも存在はしない。あるのはあくまで、ブログのみである。ブログすらいったい存在するのかも解らない。しないのかもしれない。瓦解する。脳が漏れ出す。脳髄をパソコンに塗りつける。そんなブログは、自殺をする。それでは。あでぃおす。